あるみの気ままブログ

とある東大生がゆるーく語ります。

#60 半月板を損傷した話〜おまけ

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こんにちは、あるみです。

今回は半月板損傷のシリーズで書きそびれた

おまけパートを書いていこうと思います。

それではどうぞ!

 

時系列

怪我の始まり〜最後の通院終了までのロードマップがこちらです。

 

 

 

こう書き下ろしてみると、

ずっと怪我に振り回された1年間でしたね。

 

励ましかたそれぞれ

手術を終え麻酔が切れた後は、痛みと熱に苦しみました。

手術後に熱が出るのは正常な反応なのですが、

やはり痛みと暑さだるさのダブルパンチは辛かったです。

そんな時、母はこう励ましてくれました。

「辛いし痛いかもしれやんけど、頑張って耐えなさい!

手術して半月板はくっついたんやろ?嬉しいことやん!

ほら、大好きなハーゲンダッツ買ってきたから!元気だしな!」

 

それに対し、お見舞いに来てくれた友達の母(ベテラン看護師)

はこう励ましてくれました。

「大丈夫?これは侵襲熱って言って体の防御反応だから数日したら

熱は治るよ、安心して。辛かったら早めに痛み止め飲むんやで!」

 

感情論の励ましと理論の励まし……

励まし方それぞれ笑。

どちらも心のこもったありがたい言葉で、

元気と安心をもらいました!

 

リハビリの遠足

松葉杖が取れて歩けるようになってすぐの頃、

高校最後の行事・遠足がありました。

遠足では京都に行き、自由行動で観光を楽しみました。

しかし坂が多くて……

松葉杖生活でつい最近までじっとしていた私にとっては、

少し歩くだけでも息が上がってしんどかったです。

自由行動で一緒に回った友達は

「この遠足&強歩がリハビリだと思って頑張れ!!」

とスパルタに励ましてくれました(?)

 

と言いつつも、たまにペースを落としてくれて

ダウンすることなく遠足を完遂しましたˊᵕˋ ; )

いいリハビリにはなったかな…(荒療治?)

 

 

いかがでしたでしょうか?

他にも

  • 総合病院でイケメンの研修医を勝手に目の保養にしていた母と私(血は争えない)
  • 看護体験に行く後輩に「総合病院に行くんだ!院内食めっちゃ美味しいで笑」と玄人ぶる
  • 怪我経験者の同級生に親近感を覚える(「固定具で蒸れて汗疹できるよね〜」とか話しかけてました)

 

など記憶しているだけでも、ぽんぽんエピソードが出てきますね笑。

面白いエピソードを思い出したらTwitterで呟こうかと思います。

 

それではここまでお読みいただきありがとうございました!

また次の記事でお会いしましょう。

 

 

 

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#59 半月板を損傷した話〜日常復帰・リハビリ編

ブログ移転しました。

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みなさんこんにちは、あるみです。

今回は手術を無事終えてから、お風呂や運動など

「日常」を取り戻すまでの流れを紹介したいと思います。

今まで一人でできていたことが介助なしにはできなくなり、

当時はもどかしい日々が続きましたね。

それでは記事本編に行きましょう。

 

入浴に復活するまで

手術の傷口が化膿しないよう、

しばらく湯船に浸かることができませんでした。

手術が終わってから浴槽に入れるようになるまで1週間ほどかかりました。

夏で湯船に浸かれなくても

寒くはなかったのがまだ救いでしたね。

膝にラップを巻いて、しばらくシャワーのみの生活でした。

母に手伝ってもらってお風呂に入る&トイレに行っていたのが

(恥ずかしながら)思い出でした(赤ちゃん返りした気分w)。

手術1週間後、縫合の糸を切ってもらって

ようやく湯船に浸かることができました。

 

気分は入浴介助(される側)

 

お風呂に入れるようになったはいいものの

(後の章で説明するのですが)両足に体重を乗せられるようになるまでは、

親に肩を貸してもらって椅子から立ち座りしたり、湯船に浸かったりと、

とにかく不便な日々が続きました。

 

膝が曲がるようになるまで

退院してしばらく経ってから、通院してリハビリが始まりました。

膝の曲げ伸ばしから練習しました。

膝が伸ばせなくなってから1ヶ月ほど、

まともに膝を動かしていなかったため

筋肉がこわばって自分の意思では膝が動きませんでした。

理学療法士の方に膝を持ってもらい、曲げてもらうと……

 

「ん“ん“ん“ん“ん“ん“ん“ん“!?」

 

膝に激痛を感じたのはもちろん、

皮膚がブチブチと伸びて張り裂けそうな感覚がありました。

こんな涼しい顔で曲げ伸ばしできなかった

 

手術を終えて1ヶ月以内のリハビリ通院は週1〜2回・1時間ほどの頻度で、

マッサージや膝の動かし方のレッスンが中心でした。

1時間のリハビリだけではもちろん元通りにはならないし、

理学療法士さんに

「このままのペースでのんびりリハビリをしていたら

膝がこわばったままだよ。

復帰も長い時間かかりそうだね〜」

と脅され……いえ指導を受けたので、

家でも受験勉強の合間に膝をマッサージ、

自分の腕で膝を曲げ伸ばしする練習をしました。

 

また膝を少し曲げた状態で固定されていたので、

180度にピンと伸ばすこともできなくなっていました。

そのため膝を伸ばせるよう、

膝の下にタオルを置いて押し付ける練習もしました。

激痛に耐えつつ毎日コツコツ、勉強の気分転換(?)にリハビリをしていました。

受験生だったこともあり、

リハビリしながら参考書を読んでましたね(必死)

おかげで、1ヶ月弱で歩くのに困らない程度に

膝の曲げ伸ばしができるようになり、

自分の意思で動かせるようになりました。

 

歩けるようになるまで

手術1~2週間は左足に体重を乗せてはいけず、

松葉杖で足を完全に浮かせて生活をしていました。

そこから2週間ごとに

体重を1/3乗せる=>1/2乗せる=>全部乗せる

というふうに、徐々に膝に負荷をかけていきました。

全部乗せられるようになるまでは、松葉杖生活でした。

リハビリ通院で体重計に乗って体重をかける感覚を掴みました。

その感覚を掴むのに毎回苦労しました。

軽すぎても重すぎてもダメ…

(正直忘れちゃうから体重の掛け方は適当だったんだけど☆)。

 

 

手術後1ヶ月半で全部の体重が乗せられるようになり、

松葉杖なしで歩けるようになったのですが、

階段は一段ずつ登るように指示されました。

階段が完全に開放されたのは手術後、

確か2ヶ月後くらいだったと記憶しています。

 

運動ができるようになるまで

膝の痛みがひどくなった6月からは

体育の授業は見学していました。

高校3年生は受験勉強中心の授業だったこともあり、

ほとんどの学生にとって体育はいわば「息抜き」。

特に私は体を動かすのが好きだったので、

ほぼ1年間体育ができなかったのは辛かったです。

 

エンドレス☆見学

 

運動ができるようになったのは、

MRIで半月板がくっついたことを確認した

1月中旬(手術から約半年後)。

その時期にはセンター試験が終わり、体育どころか、

学校の授業も無くなっていました(間に合わなかった(´・ω・`))。

 

ちなみにMRI検査を受けたのはまさにセンターの翌日でしたw。

センター後数日間は燃え尽きていたので

ちょうど良いタイミングの通院でした(!?)。

 

怪我をして辛かったこと

もちろん怪我と手術の痛みにも苦しんだのですが、

動けないストレスが辛かったです。

「自分が一番辛いし、痛い」と自分の辛さに一杯一杯で

当時は気づかなかったのですが、

サポートしてくれた家族も相当大変だったのだろうと思います。

往復1時間もかかる病院まで送迎をしてくれたのはもちろん、

受験のストレスとリハビリの辛さで情緒不安定な

自分の話を聞いてくれました

(こうやって書き下ろしてみると、

家族には頭が上がらない°(°´ω`°)°。)

 

またリハビリに通っていた時は

他の患者さんがリハビリに励む姿を見て、

励まされました。

特にご年配の患者さんが歩く練習・話す練習(←おそらく脳出血からのリハビリ)

をしている姿を見て

「若者の私よりも回復に時間がかかるはずなのに

こんなにも努力されていてすごいな」

と感じて、へばりそうな心に喝を入れていました。

 

あと地味に辛かったのが、

高校最後の行事・文化祭を思いっきり楽しめなかったこと。

私のクラスでは劇をやったのですが、松葉杖では踊ることができず……

結局脚本など裏方に徹しました。

裏方として劇の運営をサポートするのは楽しかったのですが、

やはりみんなとステージに立ちたかったし踊りたかった!!

ウワァァ━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━ン!!

 

 

さまざまな辛いこと・メンタルブレイキングも乗り越え、

受験後の3月下旬に最後の診察を終えました。

こうして怪我に翻弄された日々と、病院通いの1年間は幕を閉じたのでした。

 

振り返ってみて

こうして今振り返ってみると

「入院、手術、リハビリ」

は私の人生の中でも貴重なものだったなと思います。

怪我をしてはじめて自由に動けること・健康な体のありがたさを感じました。

やはり病気や怪我をしないに越したことはないですね。

(しかも受験の大事な時期に、貴重な勉強時間をリハビリに充てていましたからね。)

 

受験期に怪我をして困ったとはいえ、

夏休みは親の送迎なしには自由に行動ができなかったため、

街に繰り出して遊ぶという選択肢がなくなり、

結果的に勉強しかできませんでした。

こんな大怪我に翻弄されながらも、

大学受験では第一志望に合格しました。

 

「遊びたい「煩悩」を強制的に断ち切れたことが

受験で勝てた要因じゃない?」

なんて高校の担任には言われましたが……

青春の一部が失われたので少し複雑でしたねw。

 

勉強の夏

 

今では深く屈伸した時に少し硬直した感じの違和感があるくらいで、

日常生活・スポーツともほぼ問題はなく

ダンスサークルでも普通に踊れています。

半月板の縫合手術は再び断裂することも珍しくないのですが、

手術から4年経った現在のところ半月板は無事です。

塩対応・名医には感謝です笑。

 

ちなみに最後の通院で

「大学合格しました!」って先生に報告した時に、

「おめでとう!」とお祝いの言葉と共に

初めて先生の笑顔を見ました

その笑顔が衝撃的で印象的で……

今でも母と語り合いますねw。

(これ受験に落ちてたら、目も当てられなかったろうな)

 

 

まとまりのない感じの記事でしたが、いかがでしたでしょうか?

この記事が半月板を損傷した人はもちろん、

手術に対して不安な方の希望になっていたら幸いです。

(私も実際怪我した当初は

「半月板 損傷」「手術 痛い」

とかで検索しまくって、

同じような境遇・経験をした人のブログを見て励まされていました)

 

それではここまでお読みいただきありがとうございました!

(執筆マラソン、走り切った〜٩(˃  ˂ )وイェーィ

次の記事でお会いしましょう!

 

次は卒論執筆!!

 

 

 

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#58 半月板を損傷した話〜手術本番編

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みなさんこんにちは、あるみです。

前回の記事に引き続き、高三の時に半月板を損傷した経験について

お話ししていきたいと思います。

今回は手術本番編。

人生初の手術にビビる私。無事乗り越えることができたのでしょうか?

それではどうぞ!!

 

高三7月

いよいよ手術の日が来ました。

その日は午前中から手術だったので、母と朝早く家を出て病院に向かいました。

手術衣に着替えて、キャップをかぶって

ドラマでしか見たことのないような車輪付きのベッドに寝かされて、

オペ室へ運ばれました。

手術室の入り口まで見送ってくれた母の顔を

見て泣きそうでした。

 

手術室に到着して最初に待ち受けていた関門は「麻酔」。

全身麻酔ではなく、下半身のみの部分麻酔でした。

部分麻酔は脊髄、つまり背中に注射を打って感覚を麻痺させます。

部分麻酔を打つ箇所を麻痺させるための

「プレ・麻酔」のようなものを打ってから、

本番の部分麻酔を打つという流れになっています。

こんな感じで背中に注射を打ちます

 

 

プレ・麻酔で注射を背中に刺した瞬間、

「い“(っだ〜〜〜〜い)!!」

心で叫びました。

そりゃ日常で指に針を刺してしまう経験はあっても、

背中に針を刺される経験はありませんよね……。

非日常な痛みで意識が飛びそうでした、本番の麻酔打ってないのに

 

プレ麻酔の時に反射的に背中を反ってしまったので、

本番の麻酔を打たれる前に、

ぽっちゃりした看護師さんに背中を押さえつけられました。

プレ・麻酔で背中の表面の感覚が痺れているはずなのに、

本番の麻酔もバッチリ痛かったですね_(´ཀ`」 ∠)_

そんなこんなで部分麻酔が終了。

麻酔が回ってくると下半身全体が、

正座の後に痺れているような感覚になりました。

 



前回の記事で半月板を損傷した場合の手術の方法について説明しました。

aluminium1024.hatenablog.com

 

半月板を除去してしまう「切除」か、縫い合わせる「縫合」か、

内視鏡で膝の中身を見ながら先生が判断しました。

内視鏡で自分の膝の中身を見るという不思議な体験をしました。

内視鏡の映像を先生が見て言いました。

 

「これは相当半月板がひどく切れているね〜┐(´д`)┌

 

私は切除を覚悟しました。

ですが半月板がくっつく可能性に賭けて

半月板を縫合することに、その場で決まりました。

先生から「ひどい損傷」と言われるほどに

半月板が壊れてしまうまで

異常に気が付かなかった自分を責めました。

受験の疲れからか途中から眠ってしまい……

 

そして2時間後

「手術が終わりました」

目覚めたら手術が終わっていました。

採血やら点滴やらで注射跡がめっちゃできてたw





1日目

手術が終わってホッと一安心。

院内食を食べて、単語帳を復習して1日が終わりました。

手術直後は動くのがNGだったため、

普通にトイレに行くことができませんでした。

そのため大きめの「ちりとり」のような容器に下半身を乗せて、

ベッドで用を足すという非日常を味わいました(笑)。

夜は麻酔が完全に切れて痛みに苦しみました。

痛すぎて一睡もできない程でした。

主治医の先生が巡回して調子を尋ねられた時、

「痛すぎます!! ´Дヽエーーン

と訴えたのですが

「うん、頑張れ(棒読み)」

と鎮痛剤だけ処方されて塩対応。

YouTubeの動画を見て気を紛らわし、

暴れ出したくなるのを一晩中堪えました。

 

2日目

痛みがようやく治り、

昨日寝られなかった分を取り戻すかのように

1日中寝ていました。

車椅子で移動するのが、ちょっとだけ楽しかったです。

傷口から化膿するといけないためお風呂に入れませんでした。

そのため洗面台で髪の毛だけ洗ってもらいました。

夏だったので全身が洗えなかったのは気持ちが悪かったのですが、

結構汗をかいたため頭だけでもスッキリできてリフレッシュしました。

固定具がモモからくるぶしを覆う仰々しいものとなったため、

ベッドから車椅子に乗るといった

ちょっとした動きにも慣れず辛かったです。

固定具のため膝は全く曲がりません。

膝を伸ばしながら座ること、トイレに行くのに特に苦労しました。

 

ちなみに家では椅子を2つ用意してもらって

足をその上に伸ばしたまま乗せて座っていました。

 

学校でも椅子を2つ用意して一脚は腰をかけ、

もう一脚は足を乗せる用に使っていました。

 

座りにくいこと、この上なし

 

3日目

いよいよ退院の日。

日常生活に困らないよう松葉杖での歩き方、

階段を上り下りするレクチャーを受けて病院を去りました。

院内食。意外と美味しかった



次回!「リハビリ」リハビリという試練が始まる!

膝の曲げ伸ばしすら痛いってお年寄りか、自分。

果たしてあるみさんは無事に回復することができたのでしょうか!?

 

それでは次回の記事でお会いしましょう!

 

 

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#57 半月板を損傷した話【怪我の始まり編】

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みなさんこんにちは、あるみです。

今回は高三の時に半月板を損傷した経験について

お話ししていきたいと思います。

結構長くなるのでシリーズで紹介していきます。

 

運動部でもないのに、受験の大事な時期に

「半月板損傷」

という大怪我をした経緯について

まずは書いていこうと思います。

 

半月板とは

私が怪我をした部位である膝の半月板について軽く紹介します。

半月板は膝関節にある組織です。

大腿骨(だいたいこつ)と脛骨(けいこつ)の間にあるC型をした軟骨様の板で、

内側と外側にそれぞれ一つずつあります。

半月板は、関節に加わる体重の負荷を分散させる役割と、

関節の位置を安定にする働きをしています。

半月板の位置について

 

参照したサイトがこちら↓

 

www.juntendo.ac.jp

 

高三・5月

ケガの始まりはなんと体育の授業。しかも

スポーツテストの反復横跳び

(今でも家族にネタにされます)

反復横跳びを笑う者は……

最後の1回の着地で膝が内側に入ってしまい、

膝の中から響くような「ぼきん」という音がしました。

膝の痛みが続いたのですが、膝の捻挫だろうと自己完結して、

そのまま普段の生活を続けました。

1週間後に体育大会に出場。なぜか200m走で学年二位だったので

「走れるならまあ大丈夫だろう☆」

と怪我をみくびるに至ったのでした。

 

高三・6月

怪我から1ヶ月経ってもお膝の痛みが長引きました。

しゃがんでから立ち上がる時に膝が剥がされるような痛みがありました。

湿布とテーピングで誤魔化していましたが

「こんなに長引くなんて、おかしい」

と感じ始め、病院に行きました。

かかりつけの先生からは

「靭帯が損傷しているのかもね〜」と軽く扱われ

(まあ反復横跳びで大怪我するなんて医者も思わんだろうな)、

処方されたのはロキソニンのみ。

 

 

高三・7月上旬

7月のある日、事件は起こりました。

自室で落とした消しゴムを拾おうと思ってしゃがんだ瞬間に

膝に何かが挟まったような違和感

そのまま膝を伸ばすことができず

尻餅をついて立ち上がれなくなったのです。

漫画のように後ろにひっくり返った記憶だけ、あります

 

その後に感じた激痛で泣きそうになりました。

その日は急いで病院へ。

 

かかりつけの先生も「これはおかしい」と気づき、そのまま精密検査へ。

MRIで膝を撮影しました。

その後MRIの結果とともに、総合病院送りになりました……。

 

MRIって本当にうるさい☆!!(機材の性質上仕方ないが…)

 

膝を伸ばすことができなくなってからは、

普通に歩くこともままならず苦労しました。

かかりつけの病院で貸してもらった固定具と松葉杖で生活しました。

腕力向上、足の筋力は衰退。

 

診察の結果が出るまでの間は

「私の膝はどうしちゃったんだろう。

ちゃんと治るんだろうか、

一生このままだったらどうしよう」

とクヨクヨしては、

「膝 痛み」「膝 手術」なんてワードで

検索しまくってましたね。

しかも受験の不安も相まって、絶望的な日々を過ごしてましたorz。

 

 

家族にも怪我と受験の不安で当たってしまうこともありました。

それでも母は文句を言わず、学校まで車で送迎してくれていました。

高校へは受験勉強のため、毎日重い教科書を背負って登校していました。

友達に荷物を持ってもらって学校の階段を上り下りしていました。

こんなふうに周りで怪我をした私をサポートしてくれた人には

感謝しています。

 

 

高三7月・中旬

ついに総合病院での診察の日が来ました。

初診×総合病院は一日仕事で、

何時間も待ったのちにやっと診察に辿り着来ました( ´ཀ` )

新たに主治医となった先生は、「名医」「膝のスペシャリスト」として

地元で有名だったのですが、何せ無愛想で。

「はい、膝伸ばして(-ω`- )ムスッ」

「早くベッドにのって(-ω`- )ムスッ」。

塩対応と威圧感が精神に応えましたね、母と共に診察のたびに緊張してました。

MRIの結果と触診から、やはり半月板が損傷していることが発覚しました。

原因不明の膝の痛みの原因がわかってスッキリしましたね。

先生はすでに手術の予定で埋まっていたらしいですが、

なんとか予定をこじ空けてもらい夏休みの初日に手術が決まりました。

 

半月板の手術について

半月板を損傷した場合、

手術の方法には「切除」「縫合」の主に2種類があります。

切除は、

  • 半月板の損傷が半月板の関節中央に近いところ
  • 癒合困難な場所である

場合に行われます。

損傷した部分を縁取るように部分切除するのですが、

切除したところは、再生しません。

術後すぐに歩行が可能になるなど、運動制限がかかる期間が短く済むのですが、

クッションがなくなるわけですから、膝への負担が増します。

 

それに対して縫合は、

  • 辺縁の血流のよいところの場合
  • 縫合して回復の見込みがある場合

に行われる、損傷した部分を縫い合わせる手術です。

縫合した半月板がくっつくのには時間がかかるので、

運動制限がかかる期間が長いです。

しかし断裂部が癒合すれば、もとの半月板と同様な機能が期待できます。

 

参考文献

www.jnj.co.jp

 

私としては将来も運動を続けていきたいので、

より膝に負担のかからない「縫合」を希望したのですが……。

「切除か縫合のどちらになるかは膝を開けて

内視鏡で見てみないとわからない」

と言われて、また不安になりました。

しかし塩対応☆威圧系・主治医に不安をぶつけるわけにもいかず。

大人しく手術日を待ちました。

 

次回!あるみさん、いよいよ手術に挑む!

それでは次の記事でお会いしましょう!!

 

 

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#56 新年の抱負〜年の初めに思うこと

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みなさん、あけましておめでとうございます。あるみです。

今年の元日は朝型らしく、

バッチリ初日の出を拝みましたよ✨。

地元の神社に初詣にも行きました。

 

その後は卒論の執筆やサークルの用事など、

去年にやり残したタスクなどを片していたら、

息つく間もなく元日が終わってしまっていましたorz。

いや、ゆっくりしろよ自分w。

おせち料理。
でも一番美味しいのは筑前煮とか角煮とか、
普段も食べる料理だったりするよね。



さて今回の記事は「新年の抱負」です。

新年の抱負あるある「大晦日まで覚えていない」

というのがありますが……笑

 

私は忘れないようにブログに書き残しておいて、

1年間意識していこうと思います(`・ω・´)

(囚われすぎも良くないけどねw。柔軟にいこう、私。)

 

  • 進路・自己研鑽面
  • メンタル面

それぞれで目標を立ててみました。

それではどうぞ!

 

志望する業界を決める

大学の学部時代(大学一年〜四年)は

課題や必修の授業、実験に追われる日々で

就職したい会社や業界について考える時間がありませんでした。

私は東大工学部なのですが

「東大理系、特に工学部は大学院進学を前提としている学部である」

いう下馬評通り、就職について考える心と時間の余裕ができたのは、

院試が終わってからでしたね。

周りの雰囲気も

「4年前期まではがっつり授業、就職について考えるのは二の次!」

って感じだったように思います。

 

私の学科からはメーカーに就職する方、特に研究職に就く方が多いのですが、

私はメーカーに限らず、さまざまな業界を見知った上で

就職先を決めたいと思っています!

 

就職先が決まっている先輩や同期に

業界研究やインターンの探し方、仕事の決め手など

色々な体験談やアドバイスをもらいながら、

業界研究をしていきたいですね。

(あわよくば職場の雰囲気も根掘り葉掘り、ぶっちゃけた話も聞きたいわねw)

 

 

心に余裕を持つ・自分の機嫌は自分で取る

前回の記事で紹介したように、去年は大学院入試など

将来に関わる大事な決断をする場面が多く

それに伴って環境にさまざまな変化がありました。

 

そのせいかストレスが溜まってしまい、

ちょっとしたことで落ち込んだりうろたえたり、

意味のないことで心配したりすることが多かったです°(゚´Д`゚

 

「精神の安定」

社会人へと自立し成長するにあたり、自分にとって大きな課題です。

小さい子どものように、

機嫌が悪くなったら気が済むまで泣き喚いて周りに迷惑をかける

なんてことはいつまでも通用しませんしね……。

 

気に入らないことがあると心の中ではいつもこんな感じ

 

私にはよく一緒に遊びに行く大学からの友達がいるのですが、

その友達の言葉で印象に残っているのが

「自分の機嫌は自分で取るようにしてるの!」

というもの。

 

その友人はいつも笑顔を絶やしません。

一緒にいると憂鬱な気分がどこかへ行ってしまうほど

彼女はハッピーなオーラに包まれているんです!。

 

 

落ち込みや怒りなどネガティブな感情に支配されている時ほど、

ひどい言葉であたり散らす・クヨクヨするなどして、

気づかない間に身の回りの人を不快にさせているかもしれません。

(実際に自分がそれなので、家族や友達にどれだけ迷惑をかけたことか……)

 

自分の感情に「いい意味」で敏感になり、

自分でストレスや憂鬱を処理して

「精神的に安定した」大人になれるよう、

精進したいと思います!

 

そして毎日笑顔で楽しく過ごしたい(๑´ω`๑)

楽しい晴れの日も、辛い嵐の日も

「今日も充実した1日だったな〜」と

締めくくれる強さを持ちたい!

一度きりでもう戻ってこない今現在、若者時代、そして人生という時間。

同じ時間を過ごすなら楽しまなきゃ損ですしね(`・ω・´)ゞ

 

 

いかがでしたでしょうか。

この目標たち、2023年のラストまで覚えてるかな〜笑

打ち立てた目標を少しでも達成できるよう努力し、

充実した楽しい一年にしていこうと思います!

 

あ、もちろん体調管理にも気をつけないとだ。

一人暮らしで体調崩したら大変だしね……。

 

ラボ生活が忙しい中ではありますが、

合間にブログもぼちぼち更新できたらなと思いますので

これからも応援よろしくお願いします!

 

それではまた次の記事でお会いしましょう〜

次から年末に書き溜めたシリーズものを公開していきます!

どうぞお楽しみに!!

 

 

追伸:細々とした目標・やりたいことは無限に溢れてきますね。

本を50冊読破したいし、友達と遊びに行きたいし、ピアノ再開したいし(以下略)

 

 

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#55 2022年を振り返ってみた〜今年の漢字と共に

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みなさんこんにちは、あるみです。

本日は大晦日ですね。まったりお過ごしでしょうか?

私は卒論をぼちぼち執筆しつつ、家の手伝いをしたり

ずっと見たかったアニメやドラマを見たりと

普段よりはタスクのペースを落として、ゆっくりと過ごしています*.(´͈ ˘ ).*

 

さて今回の記事は今年・2022年を振り返っていきたいと思います。

雑に語っていくので、気楽に読み進めていただければ嬉しいです。

 

個人的・今年の漢字

日本漢字能力検定協会から毎年発表される「今年の漢字」

清水寺でダイナミックに書かれる書道が話題になりますよね!

今年の漢字は「戦」でした



私にとって2022年を象徴する漢字は

「動」

です!!

この「動」という字を軸に今年を振り返っていきたいと思います。

 

書き初めならぬ書き納め(笑)

 

2022年1~3月 コロナに翻弄された

1~2月にかけて新型コロナウイルスが大流行し「第6波」が発生しました。

その影響で1月下旬に対面で行われる予定だった

大学の試験がいきなり「オンライン」となり、

幕開けからまさに「激動」でした笑。

(2020年のコロナ流行初期ほどの戸惑いはありませんでしたがw)

 

テストを終えた後は春休みだったのですが、

一人暮らしの身でコロナに罹ることが怖かったため、

ずっと実家に帰省(避難?)しておりました。

 

実家に帰省している間は東京の友達とも会えず、

ど田舎なので近くに遊びに行ける施設もありません。

 

そのため

「この時間がある今のうちに、大学院受験に必要な

TOEFL iBTを受けてしまおう!」

という考えに至ったのでした。

周りでは5~6月に受験する人が多く、

3月に受験をする同期はほとんどいなかったため、

先輩に受験対策などの情報を聞いたり、参考書やWebサイトをチェックしたりと

「能動的に」情報を集めました。

 

特に私はTOEFL iBTの中でも新しい試験スタイルである

自宅受験を選択したこともあり情報収集が大変でしたが、

まとまっていないリンクを何度もチェックしては、

自分なりにメモアプリにまとめて情報を取捨選択していました。

 

英語の外部試験は試験スタイルなど「情報」を知れば知るほど

有利になるので、この精密な情報収集のおかげで

満足のいく得点がマークできたと思います。

(ブログのネタにもなって美味しかったぜ!)

TOEFLの受験体験記はこちらのリンクから!

aluminium1024.hatenablog.com

 
2022年4月~6月 ラボ生活の始まり

晴れて大学4年生となり、4月には研究室配属がありました。

私の学科では研究室の希望を出した上で、定員オーバーが出た場合

「くじ引き」で配属が決定するため、

決まるまでは心が「揺れ動く」日々でしたw。

(神社にお参りに行ったりしたなあ)

私は無事に第一希望の研究室に配属となり、安心しました。

ちなみに私の学科では東京・本郷の他に、千葉県・柏の研究室もあるため、

くじ引きに外れると高確率で柏の研究室に配属となります……。

 

授業を「受動的に」聞くだけの日々から、

論文を読んで「能動的に」勉強する必要のある勉強のスタイルへシフトし、

戸惑いもありましたが、少しずつ慣れている途中です。

研究・実験・勉強の進め方は個人の裁量に任されていますが、

達成できなかったら自己責任。

今は4年生だから目標が達成できなくても

大目に見てもらっていることも多いですが、

これからはそう甘くは通らないので、腹を括って頑張っていきたい!

 



2022年7月〜8月 ドキドキの院試

7月〜8月は8月下旬の院試に向けて、ひたすら勉強の日々でした。

就職が決まった同期や、院試関係ない先輩・後輩のSNSを見ては

「はぁ、みんな楽しそうだな。

それに比べて私は毎日図書館通いの日々、、、(´•̥ ω •̥` )」

と落ち込むことが多かったです。

 

気分転換に遊びにいきたい気持ちもあったのですが、

当時はコロナ・オミクロン株が流行していたこともあり、

本番前に体調を崩すことが心配で、

気軽には遊びに行けないメンタルでした。

 

お盆も帰省せずに勉強していたのですが、

友達や家族にLINEで愚痴・弱音を吐いて、励まされて。

なんとかメンタルを保っていました。感謝です。

いや〜本番前に心が折れなくてよかった、自分すごい!頑張ったやん!!

 

周りのサポートと自分の頑張りで掴んだ

「大学院合格」のチケットを握りしめて、

2年間研究を頑張っていきたいです!

 

また研究以外にも、インターンや就活、留学、それにサークル・課外活動など

学生のうちにやりたいことが沢山あるので、

悔いのないように全力で楽しんでいく所存です(,,•ω•,,)و!!

 

大学院試験の対策(東京大学工学系研究科)の記事はこちらから!

aluminium1024.hatenablog.com

心が荒んでいた時、校舎の屋上のひまわりにこっそり話しかけていたことは内緒でw
 
2022年9月 引っ越し

これこそまさに「激動」、生活の変化……。

春休みは引っ越し業者等の繁忙期である上に、

妹の受験で家族に手伝ってもらえないため、

夏休みに急遽引っ越すことになりました。

院試が終わってからは新居の準備や荷物まとめなど、

てんやわんやの日々でした。

今までお世話になった学生寮・バイト先のスーパーに別れを告げるのは

名残惜しかったですが、暖かく見送ってくれて嬉しかったです。

 

最後の1週間は家の近所をぶらぶらと散歩したりしたな〜。

人に恵まれて、快く新天地に旅立つことができました!

 

2022年10月~11月 ダンスの日々

11月の学祭に向けて直前の2ヶ月間はダンス練習に勤しんでおりました。

普段はラボに缶詰で「運動不足」の体に鞭打って(?)

毎日鏡と睨めっこしておりました。

 

卒業論文のための実験が長時間かかり、

なかなか練習に参加できないことをもどかしく感じたり、

周りに比べて練習ができず自分が踊れていないことに

落ち込むこともありましたが、

その分個人練習を頑張る、

自分のダンスを録画してミスを確認する、

メンバーからのアドバイスをよく聞くなど

とにかく「濃い練習」をしようと工夫・努力しました。

 

そして本番では最高の笑顔で楽しく踊れました!

忙しい中ではあったけど、思い出に残る学祭になりました!!

雨の学祭を終えた後にパシャリ。エモいて。



2022年12月 賽の河原であるみ、動きます

12月は調子が悪い研究室の装置をひたすら調整していました。

研究室の装置は既製品を組み合わせたり改造したり、、、

研究室独自に「カスタマイズ」してあるのが普通です。

なので説明書やマニュアルがあるはずもなく……。

調整や修理もまさに手探りなのです。

12月中はずっとラボのメンバー3人で装置をいじる日々でした。

 

ある方法を思いついて試しては失敗し、

ネジを回してはいきなり装置が解体してしまったり、

不注意でせっかく調整した器具を倒してしまったり……

まさに「賽の河原」で修行をしているような気分でした。

 

「賽の河原」イメージ図

画像はこちらから拝借しました。

オリジナルストーリー - 天上のまやちゃん

 

「賽の河原」とは冥土の世界にあると言われる三途の川の河原で、

親より先に死んだ子供たちが親を思いながら石を積んで塔を作っています。

作った塔を鬼に壊されることから

「いくら続けても後から壊される、無駄な努力のたとえ」とされます。

 

 

当初は失敗ばかりで、なかなか前に進まず

ラボの雰囲気も鬱々・イライラ・ピリピリとしていました。

「こんなネジのひと回し、1mmの配置変更になんの意味があるんだろう」

という考えに囚われてゴールが見えず、辛かったのですが、

12月末には修理の終わりが見え、実験計画の目処がたったため

今は精神の安定を取り戻しつつあります。

(努力には意味があった!!すみませんンンンン!!)

 

当時は本当に辛くて葛藤して、隠れて泣いていました。

こころの病になって後戻りできなくなる前に、

心の不調に自分で気づいて、

大学のカウンセリングに相談したり、友達に辛さを吐き出したり、

(Twitterの鍵垢に闇ツイートを呟いたり、研究室をサボったりして)

自分の心身を守るために、自分で動くことができたのでよかったと思います。

 

社会に出てからも

自分のメンタルに気を遣いながら生活を営んでいくスキルは

大事だと思うので、今回の一件はそれを学ばせてもらったんだな、

と辛かったことも綺麗にまとめておきます。

 

精神安定剤(アイス)



こんなふうに周りに流されず自らの意思で行動を起こすことで、

いろんな経験を積めました。

大変なことや悩んだことも多かったですが、振り返ってみて

充実した1年間だったなと思います。

来年も良い年にするぞ!!

 

今年は頻繁にブログを更新できて達成感に溢れています。

特に院試対策とTOEFL iBT対策の記事は人気で、

私の経験が誰かの役に立っていることが素直に嬉しいです。

来年もできる範囲で皆さんに役立つ情報(とたまに雑語り?)を

提供していきたいと思います!

 

ここまでお読みいただきありがとうございました!

それでは良いお年を〜〜〜!

おせち料理の出汁の香りを感じつつ。

 

 

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#54自炊記録〜12月第5週

ブログ移転しました。

約5秒後に自動的にリダイレクトします。

みなさんこんにちは、あるみです。

今回の記事は実家に帰省するまでの12/24~12/27の自炊記録です。

冷蔵庫の中身をちょうど良く整理するのに苦労しました😅。

生物や乳製品を残してはいけないし……

それではどうぞ!!

 

12/24

 

クリスマスイブのこの日は自炊…ではありません!

宅配ピザとケーキとワイン囲んで

友達と楽しくお家パーティーをしました(^^*)

日中は街に出かけたのですが、

クリスマスイブ、クリスマスが土日だったこともあり、

飲食店はどこも混雑していました。

人混みが苦手な私にとっては、

時間を忘れてゆっくりできるお家パーティーが

正解でしたね( )ニヤニヤ

 

12/25

朝はグラノーラで質素に。

(前の日のパーティーで正直あまりお腹が空いていなかったw)

 

 

平日忙しくなかなか病院に行けなかったので、

クリスマス&日曜日にも関わらず病院へGO。

ついでにぶらぶら街を歩いたおかげか、

パーティー分の食事も完全に消化できました笑。

ランチは念願のグラコロ!

出来立てのコロッケはクリーミーで優しいお味でした。

バンズがふかふかでサクサクのコロッケとよく合いました。

 

 

夜は一人でのんびりディナータイム。

鶏もも肉でローストチキン風グリルチキンを作りました!

ハニーマスタードの味がとても本格的で、

自分で作ったとは思えない一品となりました!

ありがとう!リュウジ先生!!

www.youtube.com

 

↑クリスマスでなくても作りたい楽さ&おいしさ!!

 

 

 

〆はコンビニのショートケーキ。

どこも売り切れていて、スーパーやコンビニを4軒回って

やっと出会えました😭。

苦労してゲットしたケーキは格別の味わいでした。

一人で気ままに動画を見ながら、

リーズナブルな晩餐会を楽しみました(◦ˉ ˘ ˉ◦)

 

12/26

クリスマスが明けて直後の朝食はこちら。

トマトスープの赤と牛乳青汁の緑で心なしかクリスマスカラー。

余韻に浸ってますねw。

 

夜は納豆とキムチを消費すべく、ヘルシー和定食風。

健康に良いネ☆。

クリスマスイブ・クリスマスの暴飲暴食もこれで帳消しだ〜。

 

12/27

 

朝はトーストとスープ。

ケチャップ・マヨネーズ・コンソメ・マスタードを

食パンに塗りチーズをかけて、トースターにイン。

マスタードがプチ・マイブーム。

 

この日は自分的・ラボ納めだったこともあり、

今まで頑張った自分へのご褒美として新作フラペチーノ🍵。

もちの食感が新しい!

抹茶味の中に玄米がふわっと香って、良いアクセントでした〜

 

 

うまい具合に冷蔵庫の中身が消費できた〜

ということで帰省前日の晩御飯は冷凍しゅうまいとカット野菜。

立派なしゅうまいで食べ応え抜群でした!!

 

こうして冷蔵庫の中身を無事消費し、実家へと旅立ったのでした……

 

いかがでしたでしょうか。

実家に帰って据え膳のありがたさを噛み締める、

今日この頃です。

母と祖母が作るご飯をいただくごとに、

胃の中が幸せで満たされていく気がします。

(そして溜め込まれていく「脂肪」という名の幸せ貯金w)

 

それではまた次回の記事で!

 

 

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