あるみの気ままブログ

とある東大生がゆるーく語ります。

#59 半月板を損傷した話〜日常復帰・リハビリ編

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みなさんこんにちは、あるみです。

今回は手術を無事終えてから、お風呂や運動など

「日常」を取り戻すまでの流れを紹介したいと思います。

今まで一人でできていたことが介助なしにはできなくなり、

当時はもどかしい日々が続きましたね。

それでは記事本編に行きましょう。

 

入浴に復活するまで

手術の傷口が化膿しないよう、

しばらく湯船に浸かることができませんでした。

手術が終わってから浴槽に入れるようになるまで1週間ほどかかりました。

夏で湯船に浸かれなくても

寒くはなかったのがまだ救いでしたね。

膝にラップを巻いて、しばらくシャワーのみの生活でした。

母に手伝ってもらってお風呂に入る&トイレに行っていたのが

(恥ずかしながら)思い出でした(赤ちゃん返りした気分w)。

手術1週間後、縫合の糸を切ってもらって

ようやく湯船に浸かることができました。

 

気分は入浴介助(される側)

 

お風呂に入れるようになったはいいものの

(後の章で説明するのですが)両足に体重を乗せられるようになるまでは、

親に肩を貸してもらって椅子から立ち座りしたり、湯船に浸かったりと、

とにかく不便な日々が続きました。

 

膝が曲がるようになるまで

退院してしばらく経ってから、通院してリハビリが始まりました。

膝の曲げ伸ばしから練習しました。

膝が伸ばせなくなってから1ヶ月ほど、

まともに膝を動かしていなかったため

筋肉がこわばって自分の意思では膝が動きませんでした。

理学療法士の方に膝を持ってもらい、曲げてもらうと……

 

「ん“ん“ん“ん“ん“ん“ん“ん“!?」

 

膝に激痛を感じたのはもちろん、

皮膚がブチブチと伸びて張り裂けそうな感覚がありました。

こんな涼しい顔で曲げ伸ばしできなかった

 

手術を終えて1ヶ月以内のリハビリ通院は週1〜2回・1時間ほどの頻度で、

マッサージや膝の動かし方のレッスンが中心でした。

1時間のリハビリだけではもちろん元通りにはならないし、

理学療法士さんに

「このままのペースでのんびりリハビリをしていたら

膝がこわばったままだよ。

復帰も長い時間かかりそうだね〜」

と脅され……いえ指導を受けたので、

家でも受験勉強の合間に膝をマッサージ、

自分の腕で膝を曲げ伸ばしする練習をしました。

 

また膝を少し曲げた状態で固定されていたので、

180度にピンと伸ばすこともできなくなっていました。

そのため膝を伸ばせるよう、

膝の下にタオルを置いて押し付ける練習もしました。

激痛に耐えつつ毎日コツコツ、勉強の気分転換(?)にリハビリをしていました。

受験生だったこともあり、

リハビリしながら参考書を読んでましたね(必死)

おかげで、1ヶ月弱で歩くのに困らない程度に

膝の曲げ伸ばしができるようになり、

自分の意思で動かせるようになりました。

 

歩けるようになるまで

手術1~2週間は左足に体重を乗せてはいけず、

松葉杖で足を完全に浮かせて生活をしていました。

そこから2週間ごとに

体重を1/3乗せる=>1/2乗せる=>全部乗せる

というふうに、徐々に膝に負荷をかけていきました。

全部乗せられるようになるまでは、松葉杖生活でした。

リハビリ通院で体重計に乗って体重をかける感覚を掴みました。

その感覚を掴むのに毎回苦労しました。

軽すぎても重すぎてもダメ…

(正直忘れちゃうから体重の掛け方は適当だったんだけど☆)。

 

 

手術後1ヶ月半で全部の体重が乗せられるようになり、

松葉杖なしで歩けるようになったのですが、

階段は一段ずつ登るように指示されました。

階段が完全に開放されたのは手術後、

確か2ヶ月後くらいだったと記憶しています。

 

運動ができるようになるまで

膝の痛みがひどくなった6月からは

体育の授業は見学していました。

高校3年生は受験勉強中心の授業だったこともあり、

ほとんどの学生にとって体育はいわば「息抜き」。

特に私は体を動かすのが好きだったので、

ほぼ1年間体育ができなかったのは辛かったです。

 

エンドレス☆見学

 

運動ができるようになったのは、

MRIで半月板がくっついたことを確認した

1月中旬(手術から約半年後)。

その時期にはセンター試験が終わり、体育どころか、

学校の授業も無くなっていました(間に合わなかった(´・ω・`))。

 

ちなみにMRI検査を受けたのはまさにセンターの翌日でしたw。

センター後数日間は燃え尽きていたので

ちょうど良いタイミングの通院でした(!?)。

 

怪我をして辛かったこと

もちろん怪我と手術の痛みにも苦しんだのですが、

動けないストレスが辛かったです。

「自分が一番辛いし、痛い」と自分の辛さに一杯一杯で

当時は気づかなかったのですが、

サポートしてくれた家族も相当大変だったのだろうと思います。

往復1時間もかかる病院まで送迎をしてくれたのはもちろん、

受験のストレスとリハビリの辛さで情緒不安定な

自分の話を聞いてくれました

(こうやって書き下ろしてみると、

家族には頭が上がらない°(°´ω`°)°。)

 

またリハビリに通っていた時は

他の患者さんがリハビリに励む姿を見て、

励まされました。

特にご年配の患者さんが歩く練習・話す練習(←おそらく脳出血からのリハビリ)

をしている姿を見て

「若者の私よりも回復に時間がかかるはずなのに

こんなにも努力されていてすごいな」

と感じて、へばりそうな心に喝を入れていました。

 

あと地味に辛かったのが、

高校最後の行事・文化祭を思いっきり楽しめなかったこと。

私のクラスでは劇をやったのですが、松葉杖では踊ることができず……

結局脚本など裏方に徹しました。

裏方として劇の運営をサポートするのは楽しかったのですが、

やはりみんなとステージに立ちたかったし踊りたかった!!

ウワァァ━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━ン!!

 

 

さまざまな辛いこと・メンタルブレイキングも乗り越え、

受験後の3月下旬に最後の診察を終えました。

こうして怪我に翻弄された日々と、病院通いの1年間は幕を閉じたのでした。

 

振り返ってみて

こうして今振り返ってみると

「入院、手術、リハビリ」

は私の人生の中でも貴重なものだったなと思います。

怪我をしてはじめて自由に動けること・健康な体のありがたさを感じました。

やはり病気や怪我をしないに越したことはないですね。

(しかも受験の大事な時期に、貴重な勉強時間をリハビリに充てていましたからね。)

 

受験期に怪我をして困ったとはいえ、

夏休みは親の送迎なしには自由に行動ができなかったため、

街に繰り出して遊ぶという選択肢がなくなり、

結果的に勉強しかできませんでした。

こんな大怪我に翻弄されながらも、

大学受験では第一志望に合格しました。

 

「遊びたい「煩悩」を強制的に断ち切れたことが

受験で勝てた要因じゃない?」

なんて高校の担任には言われましたが……

青春の一部が失われたので少し複雑でしたねw。

 

勉強の夏

 

今では深く屈伸した時に少し硬直した感じの違和感があるくらいで、

日常生活・スポーツともほぼ問題はなく

ダンスサークルでも普通に踊れています。

半月板の縫合手術は再び断裂することも珍しくないのですが、

手術から4年経った現在のところ半月板は無事です。

塩対応・名医には感謝です笑。

 

ちなみに最後の通院で

「大学合格しました!」って先生に報告した時に、

「おめでとう!」とお祝いの言葉と共に

初めて先生の笑顔を見ました

その笑顔が衝撃的で印象的で……

今でも母と語り合いますねw。

(これ受験に落ちてたら、目も当てられなかったろうな)

 

 

まとまりのない感じの記事でしたが、いかがでしたでしょうか?

この記事が半月板を損傷した人はもちろん、

手術に対して不安な方の希望になっていたら幸いです。

(私も実際怪我した当初は

「半月板 損傷」「手術 痛い」

とかで検索しまくって、

同じような境遇・経験をした人のブログを見て励まされていました)

 

それではここまでお読みいただきありがとうございました!

(執筆マラソン、走り切った〜٩(˃  ˂ )وイェーィ

次の記事でお会いしましょう!

 

次は卒論執筆!!

 

 

 

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